スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

超大物が来店!!

ハーリー・レイス


ミスタープロレス


「ハーリーレイス」


が来店しました。


(14日の、ノア後楽園ホールに登場します)




超大物の来店に、私も度肝を抜かれました






プログ用に、レスラーと写真を撮ることは、ありますが、







個人的に、写真撮影をお願いしたのは、これが初めてです。
スポンサーサイト

関本大介、東スポプロレス大賞敢闘賞受賞

関本大介選手とは、一緒に、アームレスリングの道場に、


通っていた事があります。


私が、34才で、関本選手が、19才でした。

(過去の日記に、書いている話です。貼りたかったのですが、探せませんでした)



道場の場所は、京葉線の越中島駅の近くにありました。



彼が、大日本プロレスの道場から、どうやって乗り継いで来ていたのかは、わかりませんが、相当に遠い道のりだったと思います。







当時、お互いに、かなり、アームレスリングにのめり込んでいて、








関本選手が、

「プロレスをやめて、アームレスリングをやります


と言った事もありました。

(本人も覚えていないかも知れませんが、紛れもない実話です。

「アームレスリングじゃあ食えないよ」

と言って、道場の人達が、止めていました)










私は、当時の、彼のプロレスの試合を見た事がありません。


私は、メインが多かったので、正直、前座を見ている暇は、ありませんでした。



また、レスラーとして、大成するとは、思っていませんでした。



何せ、性格がおとなしく、謙虚で、他人の悪口を言うような事も全くなく、欲があるのかないのか、掴み所がない印象でした。


長く一緒にいましたが、関本選手の方から、話し掛けられた記憶も、ほとんどありません。





容姿に関して言えば、

「もう少し顔に特徴があれば…」

という印象でした。








我々の頃の、レスラー像は、他人の悪口を言うのが、好きで、何せ、余計な口数が多かったです。



「自分が、トップに立ちたい」



との、欲が強く、すぐに揉めて、団体の分裂を繰り返す時代でした。




当時の基準で言いますと、関本選手のような性格は、


「永遠の噛ませ犬」


にされてしまいかねない、性格でした。

(未だに、リング作りを手伝うという話ですね。

我々の頃は、中堅以上になると、絶対に、リング作りなんかやりませんでした)








関本選手の成功は、


時代が、変わったという事と、



試合にしても、トレーニングにしても



「地道な努力」



と、どこの団体からも嫌われる事のない性格なのでしょう。
プロフィール

松永光弘

Author:松永光弘
Mitsuhiro Matsunaga

学生時代より相撲、空手の修行に励み、1989年10月FMWにてプロレスデビュー。以降W★ING、大日本プロレス等の団体を渡り歩き、ファイヤー・デスマッチ、五寸釘デスマッチ、サソリサボテン・デスマッチ、裸足蛍光灯デスマッチ等の危険且つ過激な闘いに身を投じる。1997年4月東京都墨田区にステーキ店「Mr.デンジャー」を開店。自ら厨房に立ち、仕込みから調理まで腕を振るう日々を過ごしている。

リンク


「MUSIC」Tシャツ販売中 (立花本店でも販売しております)
最新記事
カテゴリ
月別アーカイブ
検索フォーム
管理
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。