空手道場経営2(1988年)

空手道場で、経営を軌道に乗せたいなら、

間違いなく、鍵は一般部よりも少年部。


すなわち「子供」です。


以前こんな日記を書いています。

http://danger1383.blog50.fc2.com/blog-entry-343.html



楽しい道場でしたから、中学校で部活が始まっても辞めて行かずに、みんな続けていましたが、


人数的には、10人~15人程度と、多くはありませんでした。

(現在、空手道場を営む、友達に、この道場の話をしましたら、「今の時代なら受けるかも知れない」と言われましたが、根拠はよくわかりません)


子供が喜んで、参加するという点では、親受けが良かったかも知れませんが、

何より先生らしい振る舞いに欠けていたと思います。



残念ながら、特に、フルコンタクト空手の先生の私生活や考え方は、まるでチンピラみたいな人が多く、


まさに、空手は喧嘩の道具です。



普通に考えて、親が子供を預けたいとは思わないと思います。



成功の秘訣は、言うまでもなく、人格者になり、地域にも積極的に貢献する事だと思います。


空手に限らず、私生活においても、先生となり、他の模範となる事です。



生徒に、礼儀作法を教えるのは、必須で、親から感謝される事が大切だと思います。

(うちの店にも、空手の先生が以前来ていましたが、酒癖が悪く、喧嘩の話ばかりしていて

「礼儀作法なんて親の教えるもんだ」などと言っていました。

しかし本人に全く作法が無いのに、教えようがありませんが…)
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ジム経営最終(1989年)

今まで書いて来て、お察しの通り、1年位でジムは潰れました。





まだ、ジムが順調な頃に、


レンタルで借りていた器具を返して、

銀行から、300万円借金して、新品の器具を買ってしまい、それが丸々借金になりました。

(ウイング時代、東京に出て来る時に、100万円で買ってくれた人が現れて、助かりました。

そしてその器具は、巡り巡ってパンクラスの道場に行きました。船木さんの著書に写っている器具です。

勿論、300万円の借金は完済しました)




ジムを閉店しても、器具が残っていますし、空手道場を続ける場所を探さなければなりません。



トレーニング好きな会員さん達が、

「トレーニングする所を残して欲しい

と言うので、家の庭に、プレハブを建てて、更に200万円の借金が出来ました。



そのまま数年経ちましたが、新しいジムが隣町に出来ると、ほとんどの人は、そちらに移ってしまいました。

(ウイングからFMWに移籍した頃、こんな事があって割りと間もない頃でしたから、他人を信用していませんでした。それで躊躇無く移籍してしまったのも、移籍した一つの要因でした。

借金は、FMW時代に完済しました)



しかし、結果的に、東京に出る一つのきっかけになりましたし、良かったと思います。

職歴17、溶接工(1989年)

トレーニングジムの経営が厳しくなった頃、

午前中だけ、工場で溶接のアルバイトをしていました。



バブル時でしたから、会社は、儲かっていたようで、社長はいつも、

「ボチボチやっとってくれればいい


と言っていました。




経験しておいて、役に立つアルバイトの筆頭だと思います。

(店には、家庭用の溶接機があります。もっとも、それ程頻繁には使いません。

大抵の場合は、ドリルで穴を空けてビス止めしてしまいます。医療機器製造の経験で役に立っています。私にとってはこちらの方が簡単です)






社長の口癖は、

「俺に付いてくれば、一生、飯を食わせてやるから

でした。



社長は、月収300万円あると言う噂でしたが、


バブルが崩壊して、敢えなく倒産したようでした。
プロフィール

松永光弘

Author:松永光弘
Mitsuhiro Matsunaga

学生時代より相撲、空手の修行に励み、1989年10月FMWにてプロレスデビュー。以降W★ING、大日本プロレス等の団体を渡り歩き、ファイヤー・デスマッチ、五寸釘デスマッチ、サソリサボテン・デスマッチ、裸足蛍光灯デスマッチ等の危険且つ過激な闘いに身を投じる。1997年4月東京都墨田区にステーキ店「Mr.デンジャー」を開店。自ら厨房に立ち、仕込みから調理まで腕を振るう日々を過ごしている。

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