空手時代17、正道会館全日本(1988年)

正道会館全日本大会、

昨年の一回戦の相手は、

佐竹雅昭選手でした。


今年は?

「川地正樹さん:-O」

昨年、佐竹選手が初優勝するまで、三連覇していた人で、長らく、佐竹選手の高い壁だった人です。

リアルチャンピオンの、柳沢聡行選手から、

「これ程運の無い人も珍しい

と言われました。




左のローキックが主武器で、パンチは、拳を縦にして、ポンポンとローキックへの繋ぎで使うような感じでした。


誠心会館や時代塾の人達から、

「パンチは大した事無い

と言われていましたが、誰も対戦経験はありません。





私は、試合開始から攻めました。

しばらく、攻勢に見えて、セコンドが喜んでいたようでしたが、

その、ポンポンと軽く突いているように見えるパンチは、的確にみぞおちを捉えていて、

効いて来ました。


実際に喰らってみると、まるで、青柳館長のパンチを喰らっているような重いパンチでした。


本戦判定負けでしたが、



青柳館長は

「よくやったよくやった

最初一瞬、勝つかな~と思ったけどな


と言っていました。




正道会館のテクニックと、奥深さを、また勉強しました。


私はみんなに、

「ローキックは効かなかった

と言っていましたが、


翌日、脚が痛くなり、


「やっはり効いているんだ


と思いました。



無様な姿をさらす事は少なくなりましたが、まだバタバタとはしていました。



三連覇王者の川地さんは、甘く無かったです
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空手時代18、士道館、白蓮会館(1988年)

格闘技選手権は、開催地が大阪から九州に変わってしまい、交通費が工面出来ずに断念しました


士道館無差別級では、二回戦で、のちの正道会館全日本チャンピオンの後川選手と対戦。

再延長まで互角でしたが、膝蹴りでKO負け


後川選手の話によりますと、角田さんから

「真っ直ぐ突っ込んで来るから、カウンターで膝を出せ」

とアドバイスされたとの事、

全くその通りになり、負けました。

後川選手は、翌年に川地さんを破る金星。その翌年には、佐竹選手を破って、正道会館全日本チャンピオンになりました。


しかし、私と対戦した時は、まだ黒帯ではありませんでした。










大阪の白蓮会館全日本大会に参戦。


青柳館長が、私の一回戦の相手を見た時に、

「あ~、○ちゃんか~
と言って黙ってしまいました。


この人は、白蓮会館の地味な実力者でした。



この前年に、私が正道会館の玉城さんに、ローキックでボコボコにされて負けた時に、

二回戦で玉城さんと戦った人でした。


青柳館長から

「松永、見てみろ、お前より体小さいのに、ローキックが効かないだろ」

と言われて、その光景を虚しく見ていました。



玉城さんは、判定勝ちしましたが、

「打たれ強いね

と驚いていました。




その私の中での、因縁の相手と対戦。

再延長戦で、私の左ミドルキックが入り、

○さんは、脇腹を押さえて、

「ウ~ッウーッ

と唸りながら、倒れないように耐えていました。


脇腹を隠してしまったので、KOは出来ませんでしたが、誰の目にも、明らかに効いているのがわかりました。

(ここで、効いた脇腹に拘らずに、ハイキックを蹴らなければいけないと試合後に教わりました)






しかし判定は引き分け:-O

正直、技ありでもいいと思ったのですが



結局、試し割りの枚数で勝ちましたが、


青柳館長は、勝ったと認めてくれていて、

帰りの道中、

「○ちゃんに勝った○ちゃんに勝った

とご機嫌でした。


○さんも、負けを認めていて、

「俺弱いでしょう

と肩を落としていました。


私は、

「一回戦、松永ってわかった時に、楽勝って思ったでしょう?」

と聞いたら無言だったので、おそらく図星だったと思います。







このトーナメント、一回戦で、両足のすねをボコボコに痛めてしまって、以降キックが使えなくなりました。


二回戦は、正道会館の川地さんから盗んだ、縦拳による、みぞおちへのパンチと膝蹴りでKOしましたが、



準々決勝では、正道会館の柳沢選手に、ハイキックでKO負けしました。


柳沢選手との試合前、

「キック無しで、柳沢選手と対戦か~


と心が折れていたので、この試合は、残念ながら、


佐竹選手や川地さんとの対戦の時ほど、印象には残っていません。

ハイキックで意識を失いませんでしたが、

勢いで、倒れて諦めました

空手時代19、第二回リアルチャンピオン決定トーナメント(1989年)

リアルチャンピオン決定トーナメントとは?

全国には、たくさんの流派が、存在していてそれぞれが全日本大会を開催しています。

その中で、各全日本大会の優勝者と準優勝者のみを集めて、真のチャンピオンを決めるトーナメントです。


第1回大会は、柳沢選手が、佐竹選手を下して優勝しました。







しかしながら、第二回からは、「館長推薦」

という枠が出来、少しトーンダウンしました。



私は、体重90キロ代後半でしたが、体重減が必要と考えて、90キロまで減量しました。

既にウエイトトレーニングは、ほとんど行わなくなって、1年以上経っていました。

この時の体が、FMW創世記の時の体です。







冬の間に、かかと落としの練習をして、この試合が初公開でした。

一回戦の、正道会館の玉城さんとの対戦が決まった時は、非常に嬉しかったです。

実は、私が熱望していた試合だったのです。



玉城さんは、地味な感じで、空手経験の無い人には強さが分かりにくいですが、

あの、村上竜司選手も、破れています(判定負け)

そして実は、青柳館長も負けています(引き分けから、体重判定?か試し割り?です)





そして、トーナメント前に、情報が来ました。


「空手のトーナメントの一回戦は、全て本戦で決着


(これはそれ程珍しい事ではありません。特にこの日は、キックボクシングや、プロレスの試合もある「格闘技の祭典」という興行でしたから、空手の試合の一回戦からダラダラと延長戦をやっていたら、時間が無くなります。

第一回大会は、格闘技の試合が長引き過ぎて、メインの馬場さんが控え室で、七時間待たされる不手際もありました)




これは、朗報でした。

私は

「本戦の三分なら、玉城さんのローキックでも脚は保つ。

玉城さん位の身長が、一番かかと落としが決めやすい

絶対に勝ってやる


と思い、本戦から飛ばしました。


かかと落としのクリーンヒットが無かったのは、残念でしたが、

印象は良かったと思います。

そして、本戦後半、何度もロープに詰めて、パンチや膝蹴りを連発しました

(YouTubeではカットされています)。



(第一回大会で、初めて、ロープ付きリングを使いましたが、石井館長曰く、「白黒を決めやすい」要するに、判定の場合、ロープに詰まっている方を負けに出来る為、ダラダラとした延長戦を避けられるとの話でした)



私は、目一杯攻撃しました。


そこで、タイムアップ


私は、遂に勝ったと思い、判定を聞きました。

「判定引き分け、延長戦


「何で俺の試合だけ延長戦があるんだ


と思いましたが仕方ありません。

館長も

「あ~、延長か~

とガックリ来ていたようでした。




本戦で、スタミナ切れしていた、私は、玉城さんに、連打を喰らい、立っている事が苦しくなりました。


試合結果は、

「膝蹴りでKO」

になっていますが、最後の膝は効いていません。


ローキックが効いて来た時に、空手着を引っ張られた為、効いている足が付いていかずに前に転んだのです。



しかし、あのままでは、どのみち、KO負けでした。



まあ、勝ちであっても、引き分けであっても、どちらでもに転んでも微妙な内容ではありましたが、

どちらかを勝ちにするなら、間違いなく、私だったとは思います。




玉城さんからは、

「下手したら負けてたね」

と言われました。




白蓮会館の、向井田さんからは、

「何で勝ちにならなかったんだろうね?」

と言われました。






まあ、しかし、ゲリラ戦法で、作戦勝ちに行った私が浅はかでした。


玉城さんに勝つのは、10年早かったという事ですね。







正道会館の石井館長は、いつも会場で、正道会館のテクニックを教えてくれていました。


いつも、

「1週間でええから、正道会館に練習に来なさい」

と言ってくれていました。




青柳館長も、石井館長に


「松永が相手をするから、松永の弟子は強くなるけど、松永が強くならんのだ」

とこぼしたのを聞いた事がありました。










この日は、

石井館長に呼び止められて

パンチとキックを修正されました。


そして


「松永君、ここまで来たんやから、絶対にやめたらいかんで

プロレスなんかやっとったらいかんぞ


と言われました。





しかし、この日、青柳館長と大仁田さんの異種格闘技戦が行われ、


私は、石井館長の言葉に背き


かねてから好きだったプロレスの魅力に引き込まれて


プロレスの世界に入って行きます。



後悔はありませんが、空手も、もう少しやりたかったとは思います。


この日、正道会館を倒す事無く、事実上


私の空手人生は終わりました。









空手の話、ここからは、更にマニアックになりますが、


実は、書きたいのはここからです。
プロフィール

松永光弘

Author:松永光弘
Mitsuhiro Matsunaga

学生時代より相撲、空手の修行に励み、1989年10月FMWにてプロレスデビュー。以降W★ING、大日本プロレス等の団体を渡り歩き、ファイヤー・デスマッチ、五寸釘デスマッチ、サソリサボテン・デスマッチ、裸足蛍光灯デスマッチ等の危険且つ過激な闘いに身を投じる。1997年4月東京都墨田区にステーキ店「Mr.デンジャー」を開店。自ら厨房に立ち、仕込みから調理まで腕を振るう日々を過ごしている。

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