BSE・アメリカ産牛肉輸入停止15(2005年)

このアメリカ産牛肉輸入停止で、


一番ショックだったのは、人生計画が狂った事でした。


売り上げ、670万という数字を出した頃、

「このペースで、あと5年位貯金すれば、

残りの人生は、それ程ガツガツ働かなくても、やって行けるわーい(嬉しい顔)

と思い、厳しい労働の励みにしていました。



しかし、その矢先にこの有り様ですがまん顔









話変わりますが、

個人事業と、会社では、赤字といっても、赤字の質が全く違います。


個人の場合の赤字は、言うまでもなく、収入より支出が多い事を言います。



しかし、会社の場合は、社長や役員も給料制です。

例えば、社長が自分の給料を、月給100万に設定した場合

社長が、給料を90万しか取れなかった月は、

会社として、10万の赤字になります。


社長が、「今月は赤字あせあせ

と言っても騙されないようにしましょう。




このアメリカ産牛肉輸入停止の頃


私の給料が、15万位しかない時は、ざらにありました。


「赤字じゃない分まだまし…」

とも思えますし、


「こんなんじゃ、他の仕事した方がいいのかも冷や汗

と思った時もありました。



しかし、よその店は、もっと厳しかったみたいですし、


店を畳んですぐに輸入解禁されたら、後悔しますから、


ひたすら耐えていました。
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BSE・アメリカ産牛肉輸入停止16(2005年?2006年)

メキシコ産が入って来たものの、

何故か競争の原理が働かず、

1キロ1800円。

オーストラリア産の2350円に比べれば、まだましですが

質は落ちます。積極的に買う気にはなりません。

(何しろ肉が安定して入って来ないので大変でした。
数量が少なく確保が難しかったです。




そして、ハンキングテンダーに混ぜて使っていた

国産牛のランプと三角バラ肉が底を尽きました。





しかしそんなタイミングで、

「すこやか健康牛」

という、和牛の血統が入った、割と質のいい

モモ肉に出会い、喜んで使いました。


そして、5ヶ月間の間、開業希望者の人が、

ほぼボランティアに近い薄給で働いてくれたので、

5ヶ月間は、そこそこの利益は出ました。




しかしながら、モモ肉はやはり硬かったです。

(和牛の血が入っているといっても、一番最初に交配しただけだと思います。多分血は薄いです)





そして、その人が辞めてから、また苦しくなりましたが、


しばらくして、遂にメキシコ産の値段が下がり初めました。


1200円程度まで値段が下がりましたから、モモ肉も止めて、全てメキシコ産にしました。



しかしやはり、オーストラリア産に比べると、全然美味しくありませんし、

硬くて硬くてオーストラリア産の二倍位のジャガードをかけなければ、柔らかくなりませんでした。







そしてその頃、知り合いのお客さんに、

「最近ハンバーグしか食べないけど、理由解る?

この間ステーキ食べたけど辛かったよがまん顔

と言われました。





まあなんか、これはある意味、勉強になったと言うか冷や汗

私の為を思って言ってくれた訳ですから、真摯に受け止めはしましたが、




まあでも結局、世間は、

「もう輸入停止から2年も経っているし、もう感覚的には過去の事

もうオーストラリア産に変えるなりして、解決済みの問題。

まさか未だに、続いているとは思っていないがまん顔


と解釈しているのだろうながく?(落胆した顔)


と思いました。







しかしながら、まだまだ水面下でもがいている状態冷や汗


そう言われても、

「じゃあ採算度外視で、オーストラリア産に戻るのかがまん顔冷や汗


という選択肢しかありませんが、もう疲れました。



まあ、メキシコ産を使って、売り上げも利益もそこそこのラインを維持していましたから、


開き直って、メキシコ産を使うしかありませんでした。






テレビのニュースでも、焼き肉屋の取材で

店主が、

「お客さんから、クレームを言われるけど、どうしようもない冷や汗

来月の売り上げが、今月と同じ程度なら閉店だながまん顔


と語っていました。

BSE・アメリカ産牛肉輸入停止17(2006年?2010年)

この話題、暗いのでこの辺りで締めます。


結局、2006年初頭に、輸入解禁されたものの

特定危険部位が見付かり、わずか1ヶ月で、再び輸入禁止。


2006年後半に、ようやく輸入解禁になりました。

解禁された当初の値段は、

かつての約二倍の1キロ
1500円位でした。



そして、聞き慣れた値段、

800円~900円位の懐かしい値段に戻ったのは、


昨年の2010年です。


BSE問題は、約6年に渡り、大きな爪痕を残しました。

プロフィール

松永光弘

Author:松永光弘
Mitsuhiro Matsunaga

学生時代より相撲、空手の修行に励み、1989年10月FMWにてプロレスデビュー。以降W★ING、大日本プロレス等の団体を渡り歩き、ファイヤー・デスマッチ、五寸釘デスマッチ、サソリサボテン・デスマッチ、裸足蛍光灯デスマッチ等の危険且つ過激な闘いに身を投じる。1997年4月東京都墨田区にステーキ店「Mr.デンジャー」を開店。自ら厨房に立ち、仕込みから調理まで腕を振るう日々を過ごしている。

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