ウイングからFMWへ移籍した真相、31(1993年)

大宝君には、FMWへの移籍の事は言えませんでした。


大宝君は、ただ1人私の素質や潜在能力を見抜いていてくれて、


「松永は、スター性がない×」

との烙印を押していた、他の人達を説得して、

チャンスを与えてくれた恩人でした。


言えば、大宝君の性格上、尋常じゃない位、取り乱す事は目に見えていましたから、

大宝君は、何も知らないままでした。




海外遠征での出来事を、話したら、

「本当に大変な事がありましたけど冷や汗

このシリーズは、少し軽めに流して、休んで下さい」

と言っていました。






私は、ウイングでは、あまりバス移動した記憶がありません。半分あるか無いか位だと思います。

E君の車で移動して、移動中の車の中で、デスマッチのアイディアや、

次のシリーズの構想などを話し合っていました。


しかし、そのアイディアを、茨城さんに採用してもらうのが、大変でした冷や汗


アイディアを話すと必ず、

「関川(ポーゴさん)に相談してみる」

と言われていました。

(非常に無駄な事でした。このハードルを超えるのも大変でしたね)






大宝君からは、試合内容を指摘してもらったりしていました。



それと大宝君は、ジュニアヘビー担当みたいな感じで、


「僕、デスマッチのアイディアを出すのとかは苦手です冷や汗

と言っていました。





茨城さんも、私の離脱は寝耳に水だったと思います。

この二日間、普通に話し掛けられていました。






三宅選手には、最後の日に話しました。

「松永さん、有り難うございました。FMWへ行っても頑張って下さい」

と言ってくれました。




中牧さんにも話し、

「自分の人生優先してよ指でOK

と言われました。




金村選手には、少し話したら、

「勘弁して下さいよ~」

と言われて、話をそこでやめました。


そして、失跡した翌日に自宅を訪ねて、ゆっくり時間を掛けて話しました。
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ウイングからFMWへ移籍した真相、32(1993年)



写真は

ウイングファンなら、よくご存知だと思います。


「松永さんにそういう気持ちを持たせた人間は絶対に許さへんで」


これが誰の事であるかは、

私は、金村選手に聞いていません。

しかし、おそらく社長でしょう。









「これで絶縁かな」

と思って向かった、金村選手の家でしたが、

全てを話し、最後は和やかに食事をして帰って来ました。


内容的には、書けない話が多いです。


辞める人間がおこがましいですが、

「自分の好きな事ばかりやるのではなく、常に団体に対しての危機感を持つように」

と話しました。




この写真のシーンを見た時の感想を、ずっと思い出しているのですが、


はっきり、これと断言出来る心境を思い出せません。


開き直っていたと言えば、開き直っていましたし

「ざまあみろ」

(茨城さんや外国人レスラーに対して)

と言えばそんな感じですし、


「悲しい」と言う気持ちは少なかったです。



悲しいといえば、多くのファンを失った事でしたね。


現在では、「移籍、離脱」は普通ですが、


当時は、移籍=裏切り者

でしたから…




今回の話は、私をフォローしてくれる、コメントが多いですが、

コメントを書かずに

(書きにくい)

苦々しく見ている人も多いでしょう。



裏切った事は事実ですし、自分を正当化するつもりはありません。




「ウイングの事が心配だった。申し訳なかったあせあせ(飛び散る汗)

という嘘を書くのでは無く


明らかに、ウイングから心が離れて、大仁田さんに引き寄せられて行く心境を

包み隠さず書いたつもりです。




これが、ウイングファンにとって

「青天のへきれき」


ミスターデンジャー、裏切り移籍の真相(言い訳)

でした。


しかしながら、やはりどんな事があっても、ウイングに最後まで残る事が、

必要だったのでしょうが、そんな根性や寛大さは、なかったという事です。




ついでに、明日からは

以前は、書く事が出来なかった

「ウイングの真実」

や、こぼれ話を書いて行きたいと思います。

ウイングの真実1

こんな日記も以前書いています。旧ウイングです。

http://danger1383.blog50.fc2.com/blog-entry-1099.html

正直、

「いつ、喧嘩になるんだろうか?」

と腹をくくらざる負えませんでした



差別されたから気性が荒くなったのか?

気性が荒いから差別されたのかは、わかりません




のちに、新生ウイングでは、

「いいおじさん」になる

ジプシージョー

(我々は、ジョーさんと呼ぶようになります)

も、プエルトリコのレスラー達の雰囲気に染まっている感じで、

最初は、いい印象がありませんでした。





結局、ウイングの選手は、レスラーの卵ばかりで、

レスラーの基本が無いので、見下されてしまったのでしょう。



また、茨城さんらが、プエルトリコのレスラー達に、

「日本人にプロレスを教えてやって欲しい」

と頼んだ事によって、また更に見下されたのだと思います。




それと、ビクターキニョネスの影響が強いのだと思います。

ビクターが謙虚ならば、他の外国人レスラー達も、


見習ったと思います。


ビクターの話は、かなり長くなりますね。



何しろまとまるまでは、大変でした。


プロフィール

松永光弘

Author:松永光弘
Mitsuhiro Matsunaga

学生時代より相撲、空手の修行に励み、1989年10月FMWにてプロレスデビュー。以降W★ING、大日本プロレス等の団体を渡り歩き、ファイヤー・デスマッチ、五寸釘デスマッチ、サソリサボテン・デスマッチ、裸足蛍光灯デスマッチ等の危険且つ過激な闘いに身を投じる。1997年4月東京都墨田区にステーキ店「Mr.デンジャー」を開店。自ら厨房に立ち、仕込みから調理まで腕を振るう日々を過ごしている。

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