大仁田興行からのオファー(2001年)

2001年に、大仁田興行からオファーがありました。


私がFMWに在籍していた頃、リングアナだったYさんと、

レフリーだった
Iさんが電話連絡後、店まで来ました。


懐かしい昔話を交えながらの会話でしたが、

この時、荒井社長の著書の
148ページにある

「精一杯のバンプ」(荒井社長と選手全員が集まって、
大仁田さんに絶縁宣言する話)

の話を二人がしていました。


「騙された騙されたむかっ(怒り)

と言っていましたが、


私は、「向こうにも言い分はあるでしょう」

と言いました。










私はオファーを頑なに断り続けました。

「大仁田興行出場は、ウイングファンが一番嫌がる事だし、

大仁田さんの興行に出て、持ち味を出させてもらえる訳ないし…」




途中、大仁田さんから、Yさんの携帯に電話が入り、

「松永に代わって欲しい」

との事でしたが、拒否しました。





私は、

「サンボ浅子さんとのなまくらコンビなら出てもいい電球

と言いましたが、


YさんIさんの二人が、難色を示しました。



なまくらコンビです

http://danger1383.blog50.fc2.com/blog-entry-1075.html

二人は夜中の3時までいましたが、諦めて帰りました。
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流血戦と感染症

私が新生FMW時代、ストレスで胃潰瘍になり、


胃腸科病院で検査をしました。




その時、病院から

「血液内から、C型肝炎の抗体が見付かった」

と言われました。




要するに、体内にC型肝炎ウイルスが入り、肝臓に到達する前に、

(肝臓に到達すれば、C型肝炎キャリア)


幸いにも体内の免疫力が勝り、C型肝炎ウイルスを撃退した痕跡が見付かったのでした。

(この数年後と最近の二回、病院でウイルス検査をしましたが、勿論C型肝炎ウイルスは無く

既に抗体もありませんでした)



自分自身の私生活は、自分自身が一番良くわかっています。


C型肝炎ウイルスが体内に入った理由は、流血戦以外に考えられず


当時やその後、流血戦に色々なルールを作ろうと試み、会社と話をしましたが

(1試合で複数の選手が流血する状況は避けるとか)


それを言われたら商売にならないあせあせ(飛び散る汗)


という感じの応対でした。




HIVが騒がれた時、新日本プロレスで血液検査が行われ、

外国人レスラーにも、血液検査の結果を提出するように通達したらしいですが、

結局誰も提出しなかった
(-_-)
と聞いた事があります。


(現在、大日本プロレスでは、デスマッチを希望する選手には血液検査を義務付けしているらしいです)





私はあれだけ流血戦を行いながら、大事には至らずに引退出来て

ホッとしています。





しかしこれは意外に忘れられがちな流血戦のリスクですね。




一番怖いのは、既に感染していても、報告すれば仕事が無くなってしまう為、

隠してしまう可能性があるという事ですね。

大日本プロレス65、相撲(1999年)

大日本プロレスのリング上で、相撲が行われた事を覚えていますか?


私の相手はWX選手。


マワシの代わりに、ウエイトリフティングのベルトを付けての取り組みでした。

(大日本軍対ヒールの5対5)


この試合は、始まるまで、ルールがわかりませんでした。




アブドーラ小林選手が、ジェイソンを寄りきって

(ロープに押し込んだ)


行司の、小鹿社長の顔を見ました。



小鹿社長は、

「ブレイクexclamation ×2」と言い、場内は笑いに包まれました。


この時点で、
《こかし相撲》

(転んだ方が負け)


だとわかりました。

こんな日記も以前書いています。

http://danger1383.blog50.fc2.com/blog-entry-559.html

このルールは、転んだ方が負け。

モンゴル相撲と同じルールです。


このルールだと、相撲の投げは使えず、柔道やアマレスの選手の方が有利なのです。



私は、相撲でインターハイや国体に出場していますが


この日、WX選手に苦戦した理由は、ルールです。

(私の練習不足で身体能力の衰えが一番の理由ですが…)





ウイング時代、遊びでよく、

リング上で相撲をやりました。


この時は、《こかし相撲》ではありませんでしたが


私は、ミゲルペレスジュニアに一度負けています。




つづく
プロフィール

松永光弘

Author:松永光弘
Mitsuhiro Matsunaga

学生時代より相撲、空手の修行に励み、1989年10月FMWにてプロレスデビュー。以降W★ING、大日本プロレス等の団体を渡り歩き、ファイヤー・デスマッチ、五寸釘デスマッチ、サソリサボテン・デスマッチ、裸足蛍光灯デスマッチ等の危険且つ過激な闘いに身を投じる。1997年4月東京都墨田区にステーキ店「Mr.デンジャー」を開店。自ら厨房に立ち、仕込みから調理まで腕を振るう日々を過ごしている。

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