愛知県の実家をめぐっての話 3

やはり、おじさんの目的は

我々がいつまでも住んでいられるようにしてくれたのではなく、


転売して儲ける事でした。



我々と同居していた祖母(おじさんの実母)


が生きていた間は、


特に何も動きはありませんでしたが、

ほどなく訪れた、祖母の死により、(高2の6月)我々は後ろ楯を失います。




(しかし我々の生活の基盤は、弟おじさんによる、
祖母への、月15万円の仕送りで祖母の死後も、

2年間送金して頂きましたから、感謝もしなくてはならないでしょうね。

しかし、私のいとこ
<息子、二代目社長>への、

手厚い相続の準備
<相続税対策の為に多額の生命保険を掛けたり、

もし会社が倒産しても土地を売れば、一生お金に困らないように不動産を買ったり>

を見ていて、虚しかったし感謝の気持ちは、当時なかったですね。

「うちの父親が作った会社だ!」

みたいな気持ちもあったかも知れませんが、もうどうにもならないですし、思うだけ無意味ですが…)






「何とか家から、出ていかせたい」

と思われているような
動きが、祖母の死後出て来ました。



私は焦って、

「家を出て行かなくてはならなくなるあせあせ(飛び散る汗)


と父親の兄に相談しました。

(父親の兄は、元々教師でしたが、飛ぶ鳥を落とす勢いで成長する弟の会社に魅力を感じ

教師を辞めて転職し、弟の会社の専務になり、

月給130万もらっていましたが、桁違いの収入の弟と揉めて

結果喧嘩別れして、同じ業種の別会社を作りました)



父親の兄おじさんのアドバイスは、


「自己主張は絶対にダメ

何しろ従順にしていなさい。
従順にさえしていれば、

むかっ(怒り)むかっ(怒り)出て行けむかっ(怒り)むかっ(怒り)


とは絶対言えない性格」

との事でした。


(しかし怒らせてしまうと、まずいです。一度、

私に

「お兄さん(私の実兄)はどうしてる?」と言われて、

「大学院に行っています」と答えたら、

「そんな家庭じゃないむかっ(怒り)甘えているむかっ(怒り)

と激昂して、援助を問答無用で打ち切られた、苦い経験がありました)







そして、私が呼び出され

弟おじさんと、土地を巡る話し合いになる度に、


「全部、おじさんの言う通りにします」


とうつむいて答えます。


すると

「あの家に住みたい?」

と聞かれます。


そして「住みたいです」


と答えると、おじさんは


何も言えなくなり、土地を巡る話し合いは、取り敢えず平行線。


その手で、何年かは、住んでいられました。

(本来住んでいる側には、居住権という生存の為の権利がありますが、

権利を主張して怒らせるのは、得策ではないと考えていましたし、怒らせて裁判にでもなったら、

我々に裁判費用も、ありませんし、裁判のやり方すらわかりませんでした。

しかし十代にして、社長相手にこんな駆け引きをして、世間に揉まれて

いい経験にはなりました)





しかしながら、我々は借金

(母親名義の借金や、母親が保証人になっていた借金)

を抱えていましたから、まとまった立ち退き料をもらえれば、出て行く道を選んだでしょうが、


そこで、お金を提示しない所が金持ちたる由縁でしょうか…


いくら出て行って欲しい

と言う意思表示をされても、出て行く場所も金もありませんから


居座っていました。






前置きが長くなりましたが、

名古屋の店に、そのおじさんの息子

(二つ年下のいとこ)


が来たのでした。
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名古屋のステーキ屋にて(1998年)

その名古屋のステーキ屋


のオープンの日に、いとこが訪ねて来ました。


縁は切ったつもりでしたが


家の問題が残っていましたから、いずれアクションがあるだろうとは思っていました。






子供の頃は、よく遊びましたから、懐かしさはありました。


お互いの、家族の近況報告を軽く交わして



「結婚はしたの?」


と聞かれ、「したよ」

と答えました。



結婚式に、父親系の親族は誰も呼びませんでしたし、
(祝儀を集める目的なら
一番魅力的な一族でしたがどうしても呼ぶ気にはならず)


彼は、プロレスが好きでしたから、寂しさはあったかも知れません。




そして、家の事を切り出されました。


父親に言われて来ただけでしょうから、彼に罪はありませんが、


一代で財を成した父親を、神のように崇めていますから、一切の融通が利きませんし、

父親が、みんなの幸せの為に、代々の家を守ったと信じている。

だったら何故、売るのか?

意味不明。



そしてあくまで、退去→転売

にこだわるところは、やはり金の亡者。




(「うちも、あの家に、
2600万使ったのだから、

家に愛着があるなら、せめて、その2600万は返して欲しい」


というような、温情のある選択肢は、一切与える素振りもない。




ちなみに、その二つ年下のいとこも既に、

年収4000万で、長者番付に顔を出していました)



取り敢えず、その場で結論は出ませんでしたが、


逃げるつもりは、ありませんし、


東京の住所と電話番号を教えました。



別れ際に、

「もうすぐ結婚するから、結婚式に来てよ」


と言われました。


「家を明け渡せ」と

「結婚式に出て」を

同じ日に、普通は言わないだろう…

やっぱり、ボンボンだな。

と思いましたが、


金持ちの結婚式を見る機会はなんてそうそうない、


一見の価値があるかな…


と思い、出席する事にしました。

金持ちの結婚式へ(1998年)

おめでたい


という気持ちは別にありませんでしたけど、


興味で出てみた結婚式。


ホテルの下で、そのいとこの姉に会いました。


その人は、私と同じ年齢で、優しく、気配りも出来る人でした。


「色々苦労したのに、こんな結婚式に呼ばれて嫌だろうな」


という顔をしていました。


親族でただ1人、繊細な気配りを感じました。






ロビーでおじさんに会い、

挨拶をしたら、


「結婚したんだって?」


と聞かれ、お祝いをもらい、


後で中身を見たら20万入っていました。





「若い頃の苦労は買ってでもしろというわーい(嬉しい顔)


と言われて悪い気はしませんでしたが、



「家を一年以内位に、明け渡して欲しい」


と言われました。




幼い頃から住んでいて、家に、かなり愛着はありましたが


「もうさっぱり、明け渡してしまおうかな」


と思い始めました。




結婚式は、正にテレビで見る、芸能人の結婚式。


男っ振りは、さほど良くないのに、スチュワーデスと見合い結婚。





新郎新婦は、遥か彼方にいて、表情が見えるか見えないか位の距離でした。






なんとあの、田原俊彦が来ていて、


いかにも、友達のような素振りの挨拶をしていましたが、


会話を見る限り、たどたどしく


明らかに、ゲストに見えました。





田原俊彦も、

「俺はビッグ」発言以来見なくなっていましたが、


「こんな仕事もするようになったんだな!」


と思って見ていました。







しかし正直、不快な結婚式でした。


こんな結婚式を見せられた、社員達は、


みんな、

「こんな金があるなら、俺達の給料上げろよむかっ(怒り)


と思うんだろうなと思いました。




(実は、私はその会社に5ヶ月間、勤めた事が事がありました。


その会社の給料は、最低賃金。

交通費は出ず、



昇給は、年1回、1万円。

と言う事になっていましたが

、職場の人達の話では、

1万円昇給するのは、最初の一年だけで、


あとは年に2千円しか昇給しないという話でした。




何しろ、人の出入りが激しくて、


せっかく仕事を覚えた、社員がどんどん辞めてしまいますから、


役職の人達が可哀想でした。


そして長年勤めて、給料が高額になると、


「下請けの社長にならないか」

との甘い言葉で、独立させて、



最初のうちは、仕事を回しているのですが、


少しずつ離れて行きます)






この結婚式で、かつての上司達と再会して


「中京スポーツ(東スポ)見ているよわーい(嬉しい顔)


と言われました。




司会者が、やたらに、

「生産台数日本一~」


と連呼している、結婚式でした。



しかし実は、とっくに抜かれていて、

もう日本一ではないという事は後で知りましたが、





しかし創業した時期が良かったので、蓄財はやはり日本一のようでした。




結婚式を見て、不快な気持ちになったので、

二次会の誘いを、さらっと断って


帰りました。
プロフィール

松永光弘

Author:松永光弘
Mitsuhiro Matsunaga

学生時代より相撲、空手の修行に励み、1989年10月FMWにてプロレスデビュー。以降W★ING、大日本プロレス等の団体を渡り歩き、ファイヤー・デスマッチ、五寸釘デスマッチ、サソリサボテン・デスマッチ、裸足蛍光灯デスマッチ等の危険且つ過激な闘いに身を投じる。1997年4月東京都墨田区にステーキ店「Mr.デンジャー」を開店。自ら厨房に立ち、仕込みから調理まで腕を振るう日々を過ごしている。

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