大日本プロレス38 デンジャーネットサーカスデスマッチ(1997年)

当時、デンジャーネットサーカスデスマッチで発表されていますが、


今の、大日本プロレスデスマッチDVDでは、

毒針蜘蛛の巣デスマッチ

になっています。



発想としては、サーカスの綱渡りなどでは、

落下してしまった時の為に、防護ネットが張ってありますが、


このデスマッチでは、その防護ネットが有刺鉄線で出来ています。



ネットの上には、建設現場デスマッチよりやや低い、


建設現場に似た足場がありました。


それで建設現場デスマッチと混同してしまっている方が多いです。




1月2日、蛍光灯デスマッチ

1月4日新日本プロレス東京ドーム

1月6日デンジャーネットサーカスデスマッチ



1月2日の、蛍光灯デスマッチに喰われてしまったのか、


新日本の東京ドームで白けてしまったのかわかりませんが、



超満員札止めの、蛍光灯デスマッチに対して


この日は、がらがらだったと、記憶しています。


五分位の入りでした。
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大日本プロレス39 デンジャーネットサーカスデスマッチ(1997年)



当時、FMWをかなり意識していました。


FMWで、グラジエーターが、田中選手を


リング内から場外の机めがけて、バワーボムを決めたシーンが話題になりました。


それを意識して、足場から
リング上の机目掛けて
山川選手にバワーボムを敢行。




ウイング時代、FMWで話題になったシーンを一つづつ潰していく作業をしていましたが、


それと同じ事をまた始めた頃でした。



この試合では、足場から
有刺鉄線ネットに寝かせた、山川選手目掛けて、


ローリングセントーンも敢行。


新日本の東京ドームに出なかった私と山川選手を中心とした試合で、


中牧さんと社長の見せ場はありませんでした。




私が相手の光を消した、極めて珍しい試合で、


新日本に出た2人に対する意地があったのでしょう。

大日本プロレス40 ケンドーナガサキさん(1996年)

大日本プロレスに入る前、

ナガサキさんとは、あまり面識はありませんでした。


茨城さんと仲が良かったようで、ウイング時代

茨城さんのマンションによく来ていましたが、


挨拶をする位で、会話した事はありませんでした。


色々な武勇伝や伝説のある人でしたし、

新日本時代、○ー○さんを
ぼこぼこにいじめていた話は有名でしたから、


大日本プロレスに入る前に、一度会って、話をしてみたかったので、


中牧さんに、その旨を伝えたら、

中牧さんが、セッティングしてくれました。


場所は中牧さんの自宅、

寿司の出前や、飲み物など全て中牧さんのおごりでした。


中牧さんは、このような場面では、実にまめな人で、


大日本プロレスに、どうしても、私に入って欲しかったらしく、


また、会社に対する忠誠心の強い人でした。



その分、後からの反動もまた凄いですが…



つづく
プロフィール

松永光弘

Author:松永光弘
Mitsuhiro Matsunaga

学生時代より相撲、空手の修行に励み、1989年10月FMWにてプロレスデビュー。以降W★ING、大日本プロレス等の団体を渡り歩き、ファイヤー・デスマッチ、五寸釘デスマッチ、サソリサボテン・デスマッチ、裸足蛍光灯デスマッチ等の危険且つ過激な闘いに身を投じる。1997年4月東京都墨田区にステーキ店「Mr.デンジャー」を開店。自ら厨房に立ち、仕込みから調理まで腕を振るう日々を過ごしている。

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