旧ウイング

格闘三兄弟は、「額に傷が残るのはいやだ」と女みたいな事を言っていました。
ポーゴさんも「みんなが格闘技路線やりたいなら、やってもいいよ」とか「FMWにいた方が良かったかな」とか、こぼすようになりました。

私は、プロレスラーの勲章は、肉体であり傷であると思っています。

みんなが金髪にすると一斉に金髪にしたり、みんなが刺青を入れると刺青を入れたりする。真似や流行りみないなのは好きではありません。


大迫さんには、特に悪いイメージはありません。栗栖さんも「大迫さんいい人だったよ」と語っていましたが、新生ウイングスタッフに言わせれば「それは知らないだけ」との事です。何よりも一番まずいのは、大迫さんは、プロレスを知らない人だった事です。ディックマードックを知りませんでしたから、プロレス団体の社長をやるのは無理がありました。三宅選手が、大迫さんの最大の被害者なのでいずれ、彼の日記で語られると思います。

格闘三兄弟と私の4人でリーグ戦が始まりました。

大宝君と話して、全部反則負けにしてしまおうかと、相談していましたが、茨城さんに固く止められました。


茨城さんは、青柳館長が木村健悟さんに負けた雑誌の記事を見て、「木村健悟あたりに負けてるようじゃ商品価値はないねー」などと語っていて、自分達のやっている事をかなり高く評価して勘違いしているようでした。

リーグ戦が始まりました。 あまり語りたくないリーグ戦ですが、木村浩一郎選手とのシングルマッチが組まれた会場で、みんなが号令を掛けて練習している時に、号令に合わせて、冗談ですが、椅子の素振りをしていました。

斎藤選手だけは「はい上段下段」と乗り良く付き合ってくれました。
スポンサーサイト

旧ウイング

私がいつからデスマッチをやりたいと思うようになったのかは、自分でもよくわかりません。

FMW初期に、大流血した後、控え室で大仁田さんに「一度流血してみたかったんですよ」と言って大笑いされた事があります。

あと、ドッグファイトの時に五寸釘デスマッチを企画しようとして、周りから止められた事がありましたから、素質はあったのでしょうね。

高校時代、喧嘩の話に明け暮れていた斎藤選手は、私より気が荒いと思っていましたから、流血を嫌がる姿は意外でした。プロレス界に入ってからも、意外に品行方正なエリートで、毒を撒き散らす私とは対照的です。


プロレスを知らない社長の下で、活動するのは大変でした。茨城さんは週プロの前身の月刊プロレスを作っていたライター出身なので、プロレス頭があると自分では思っているところが大ネックでした。


旧ウイングでの選手入場式で起こる拍手や声援は、私と斎藤選手の時だけ盛り上がる感じで、あとは全然でした。

リーグ戦の方は、斎藤選手との決勝戦を残したところで、ウイングは、茨城派と大迫派に分裂しました。

私は大宝君の行く方に行くと決めていましたから、茨城派に躊躇なく決めました。
あのロビンが、大迫派のWMAに履歴書を送り、「君のような選手が欲しかったんだよー」と大迫さんが言ったらしくて、ロビンから喜びの電話が入りました。

本当にプロレスを知らないとは恐ろしい…

新日本対誠心会館

旧ウイングは分裂しました。
その頃、誠心会館自主興行(リアルスタンドバトル)が後楽園ホールで行われました。

空手対テコンドー5対5
さほど大した興行ではありませんでしたが、この時
新日本対誠心会館の抗争の伏線が始まっていました。
この時点では敢えてK長と書きます。

K長は「これで誠心会館の名前が全国に売れる」と舞い上がっていました。

私は「新日本に利用されるだけだよ」と腹の中で思っていました。

新日本も、当然、K長、松永、斎藤の3人が揃うと信じて疑っていませんでした。
しかし、大宝君との約束もありますし、新生ウイングへの参戦を決めていました。

K長から「お前はバカか、ウイングなんてすぐ潰れるんだぞ」と怒られました。

しかし私は強情でした。
「わずか数ヵ月前に解雇と言っておいて、また出ろ、はいお願いしますとはいかない。都合良すぎる。大体ギャラだって全額もらってないんだ」 この辺りの頑固さは、今も昔も変わっていません。

当時の新日本にオファーされて断るレスラーはまず、いなかったでしょう。



話は変わりますが、ミスター高橋さんの暴露本に書いてある、新日本対誠心会館の話は嘘です。暴露するなら本当の事を書けと言いたい。あの本の信憑性も疑わしいです。これは何かの機会にバッサリやります。
プロフィール

松永光弘

Author:松永光弘
Mitsuhiro Matsunaga

学生時代より相撲、空手の修行に励み、1989年10月FMWにてプロレスデビュー。以降W★ING、大日本プロレス等の団体を渡り歩き、ファイヤー・デスマッチ、五寸釘デスマッチ、サソリサボテン・デスマッチ、裸足蛍光灯デスマッチ等の危険且つ過激な闘いに身を投じる。1997年4月東京都墨田区にステーキ店「Mr.デンジャー」を開店。自ら厨房に立ち、仕込みから調理まで腕を振るう日々を過ごしている。

リンク


「MUSIC」Tシャツ販売中 (立花本店でも販売しております)
最新記事
カテゴリ
月別アーカイブ
検索フォーム
管理