アイスマン

バルコニーダイブが終わってから、アイスマンがくやしがりました。
「やってやる」と言って、地方大会で、バスケットボールのゴールから飛んだ事を覚えていますか?
「アイスマンもやってくれました」という記事が週プロに小さく出ていました。

アイスマンの性格はキャラクターのイメージほどよくはありませんが、まあ多少気が荒い普通のプエルトリコのレスラーといったところでしょうか。

プロレスを教えてくれる先生でもありましたが、明らかに日本人のファンには受けない事を押し付けて来る所が困ったところでした。

大日本のザンディグにも同じようなところがありました。明日はそれを書きたいと思います。

最初に日記を始めた時は年代順に書こうと思いましたが、古い話は面白く、プロレスが下降して来た後半は裏話もあまり面白くありません。

出来るだけ長く、この日記を続けたいと思っていますので、時々話が飛びますが、また元に戻りますからご心配なく。

レザーフェイスもキムドクさんも、ミルマスカラスもまだ続きがあります。
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ザンディグ

CZWのボス、ザンディグ。

アメリカのレスラーには珍しく自分勝手でわがままでした。

外国人レスラーは日本人とは育って来た環境や気質、


その国のプロレスファンのプロレスに対する見方の違いなどがあり、そのギャップを埋めるのは作業が必要です。




外国人レスラーに、相当な頭の柔らかさが求められます。









あのウイングの、レザーフェイスでも、

1992年、戸田市での五寸釘デスマッチにて、私が五寸釘に転落した後、

リング上に、五寸釘板を上げ、そこにボディスラムをする考えでした。


しかし、あの当時は、落下すれば充分で、更にボディスラムをしたりすると、


逆に嘘臭くなります。






日本人レスラーと、外国人レスラーには、これ位は、当たり前に、その国のプロレス文化による、感覚の違いがあり、


それを埋める作業が不可欠です。








しかし、ザンディグの場合は譲る事がありません。



自分の意見が通らないと試合ボイコットもします。

(現に地方大会でボイコットしています)



横浜文体でCZWとBJWの軍団抗争が始まり、私がCZWに寝返った事により、

抗争は白熱(ザンディグはCZWと喧嘩してBJW入りしていました)。







2001年、8月19日、横浜文化体育館


蛍光灯200本&ガラス画ビョウデスマッチ

(ガラスに、接着剤で画ビョウがくっ付けてあります)





この試合で私が、ベルト奪取。




試合内容も、バイオレンス、



ザンディグが、コーナーポスト上で、私をリフトアップして、ガラスに投げつけた怪力と


身体能力は、圧巻でした。




ここまでは、ザンディグも乗っていたのですが…

ザンディグ第2話

横浜アリーナ大会が来た。 ダブルメインで私との硝子爆破マッチが控えているのに、ザンディグは前座の4ウェイか3ウェイダンスか忘れたが、その蛍光灯デスマッチのXとして登場。
謎のマスクマンの乱入で、大の字に伸びてしまう。
そして硝子爆破マッチにドクターストップがかかり、医者も出て来て「ドクターストップのアナウンスがかかる。
しかし身体を引きずり入場。
迫害を受けた者が満身創痍でリングに登場して勝つという、昭和初期のドラマのような猿芝居。
あまりにも臭い演技に、リングで待機していてテンションは下がりっぱなしだった。
こんな猿芝居がアメリカでは受けるのだろうか?。
純粋にプロレスを見ている日本のファンでも「硝子爆破が控えているのに前座のXとして出て来て怪我するのはアホ」という事にしか見えない。
つづく
プロフィール

松永光弘

Author:松永光弘
Mitsuhiro Matsunaga

学生時代より相撲、空手の修行に励み、1989年10月FMWにてプロレスデビュー。以降W★ING、大日本プロレス等の団体を渡り歩き、ファイヤー・デスマッチ、五寸釘デスマッチ、サソリサボテン・デスマッチ、裸足蛍光灯デスマッチ等の危険且つ過激な闘いに身を投じる。1997年4月東京都墨田区にステーキ店「Mr.デンジャー」を開店。自ら厨房に立ち、仕込みから調理まで腕を振るう日々を過ごしている。

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