キラーカイル

全身、黒のスーツ姿、スキンヘッドに黒のシルクハット。そして手にはバイオリンケースを持ち入場。
不気味なテーマソングでリングイン。
その格好で試合もする。
そんなウイング向きなキャラクターで来日した「キラーカイル」
初来日のシリーズは珍しく後楽園ホールで試合がありませんでした。
大阪での試合では、三宅綾をリフトアップして場外の鉄柵に投げつける荒技で、度肝を抜きました。。。。 2ヶ月後位に再来日したのですが、選手入場式の時、驚きました。 なんと黒のショートタイツ姿に変わっていたのです。
「ただのオッサンだよ」本当にそう思いました。
なんたる手抜き。しかし手抜きはそれだけで済みませんでした。
地方興業の試合で、私を場外戦で控え室の扉にぶつけて、扉を開けました。
「ちょっと待て。テイクタイム」 控え室に入り、にっこりと笑ってゆっくり水を飲んでいます。
そして何事もなかったように、また私を捕まえて、「いくぞ」と言って、また乱闘を始めました。
みなさん、お察しの通りそのシリーズでクビになりました。
キャラクターがよかっただけに悔やまれますが、今では笑い話です。
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キラーカイル第2話

今、思いだしました。
そのシリーズでは、金村選手の地元、三重県四日市で興業がありました。
その試合では、私との乱闘中、トイレに入り鍵を掛けました。中で休んでいたようです。
出て来るまで外で待っていましたが、結構長い時間でした。
その夜、金村が友達から「松永さんを見れなかった」と文句を言われたそうです。

キムドクさん(タイガー戸口)

初めての出会いは、新日本プロレス岐阜産業会館大会前。
ビジネスホテルの一室を、私と斎藤彰俊で訪ねた。
栗栖さんの仲介で挨拶して握手。
乱入計画を練った。
今回、斎藤の出番はなかったが、のちのブレイクを考えると、ピラニア軍団への参加は、全く必要ない過去であり、逆に運が良かったが、その時の寂しさは察するに余りある。
乱入してピラニア軍団3人 で雄叫び、裏切られた青柳館長は激怒した。
栗栖さんが「俺、ジムもあるし明日大阪だから今日は帰ります」 するとドクさんは「俺一人?10年振りの日本なのに俺一人?」と言い、ご丁寧にホテルのフロントで新幹線の時間を調べた。
ドクさんは岐阜羽島から新幹線に乗る。
私と斎藤は一旦、愛知の自宅に帰り 自宅から大阪へ、その岐阜羽島に止まる新幹線の名古屋発の時間を調べたのだ。
「おい松永と斎藤、この新幹線に乗って来い。」
もちろん「はい」と従った。「斎藤おまえは顔が可愛過ぎる 頭染めろ」と言われたが当時諸々の事情があり染める事が出来なかった。
私は何も言われなかったが、床屋で金髪に染めて帽子を被って出掛けた。(帽子を被った理由は、当時金髪なのは、不良かミュージシャン位で、金髪で街を歩ける時代ではなかった)。ドクさんと新幹線で合流して、タクシーで大阪城ホールに会場入り。
控え室で、しばらくしてから帽子を取ったら栗栖さんが爆笑した。
俺さっきまで「何こいつ生意気に帽子なんか被りやかって」と思っていたらしい。「いやープロだねー」と言い、斎藤が浮いてしまってなんだか申し訳なかったが、これも運命か。
時期シリーズの巡業に私一人でドクさん栗栖さんについて行って、夜ドクさんに意味なく呼び出された。
栗栖さんは接待で不在。
ドクさんに連れて行かれたのは焼肉屋だった。
こっちは緊張でガチガチ。特に会話らしい会話がないために、余計に緊張した。 しかしすぐにピンと来た。
「この人寂しがりやなんだ」。
つづく
プロフィール

松永光弘

Author:松永光弘
Mitsuhiro Matsunaga

学生時代より相撲、空手の修行に励み、1989年10月FMWにてプロレスデビュー。以降W★ING、大日本プロレス等の団体を渡り歩き、ファイヤー・デスマッチ、五寸釘デスマッチ、サソリサボテン・デスマッチ、裸足蛍光灯デスマッチ等の危険且つ過激な闘いに身を投じる。1997年4月東京都墨田区にステーキ店「Mr.デンジャー」を開店。自ら厨房に立ち、仕込みから調理まで腕を振るう日々を過ごしている。

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