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WWE訴訟

「レスラーの健康や安全を犠牲に企業利益を得た。


と元WWEのレスラー、50人が、損害賠償損害」



注目を浴びたくて、好きで、プロレスをやっていたのだから、自己責任だと思います。



ちなみに、私も体は、ボロボロです。
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ヤミキさん永眠

聴覚障害者の団体、ヒーローのヤミキさんが、永眠しました。

ヤミキさんは、聴覚障害者ながら、新日本プロレスに、入門。


ミスターポーゴさん。
グラン浜田さんと同期です。


ポーゴさん曰く

「とんでもない運動神経だった」との事です。

(そうでなければ、当時の新日本プロレスが、入門を認めないでしょうね)


しかしながら「障害者では、プロレスは無理」

と言われて断念。




私が、聴覚障害者のプロレス団体を知り、参戦した時、ヤミキさんは、レフリーでした。



ポーゴさんや、浜田さんと一緒に、写っている、当時のパンフレットらしき物を見せてくれて、


「ポーゴさんに会いたい


と何度も言っていました。(手話通訳を通してです)



我々のお膳立てで、ポーゴさんと、感動の再会。


そして、驚いた事に、ヤミキさんは、60歳にて、プロレスラーデビューを目指します。


ポーゴさんとの、二度に渡る、シングルマッチ。


また、私との三連戦で、最後に、勝利した夜、


ミスターデンジャーに、一人で訪れ


「有り難う。有り難う」

と、言いながら、ずっと、カウンターに座っていた姿が、忘れられません。

(還暦にて、見せた、トペスイシーダは、ポーゴさんの言葉を裏付ける、見事さでした)



その後、本拠地のヒーローと、ポーゴさんの団体、WWSにも、定期参戦しました。



ポーゴさんから

「浜田と三人で、死ぬまで、プロレスをやろうよ」

と言われ、


プロレスラーに、なる事を、一度は、諦めた自分が、

トップレスラーである、二人の仲間に、入れてもらえた事が、とても嬉しかった事は、想像に難しくありません。


年齢が年齢だけに、家族からは、引退を勧められていたようですが、


「生涯現役を約束したから、辞めない」


と言って、プロレスを続けたそうです。



今年に二月に、試合中の怪我で、病院に搬送された際、内臓疾患などの、病気が、多数見付かり、


また、家族に内緒で、治療していた、病気などもあり、数日前、容態が急変して、帰らぬ人となりました。



私見ですが、非常に、幸せな人生だったのでは、ないでしょうか。



私は「人生、最後まで、諦めない」


と言う事を、教わりました。



合掌



見事な、生涯現役でした。

青柳館長への贈り物


本日、行われます。


青柳館長の引退セレモニーに、私が送った贈り物は、


館長の脚が治って、また蹴っている、イメージのイラストです。


イラストレーターは、お馴染みの、小沢聖さんです。



(イラストの言葉などは、小沢さんに一任しました。私は、英語が苦手ですし、ガラケーなので、文字が小さくて読めません。

館長の脚が治って、復活しているイメージのイラストです。私からの贈り物ですから、イラストでは、私が蹴られている絵ですが、私がプロレスのリングに戻ると言う意味ではありません。あしからず)

世界プロレス協会、後書き

今回の、世界プロレス協会の、


「前売りチケットの売れ行きが、悪い」


と相談された時、正直、どうしたらいいか、わかりませんでした。





しかし、豊本さんが、名付け親だと言う、


「世界プロレス協会」


と言う名前は、


「さすが、お笑い芸人」


と言うべき、トンチの聞いた名前でした。

(昨今の女子プロレスは、カタカナ文字の、洒落た名前が多いのですが、

何が一体、「世界」なのか?


と言う、突っ込み所、満載な名前でした)






あまり、名前が売れていない選手逹


全く、名前も売れていない団体を、無理矢理持ち上げた日記を書いても、


読んでももらえませんし、誰も見に行こうとは、思いません。






私が、上林選手に、

「ウルトラマンロビンみたいに、するしかない」


と言うと、



「豊本さんと同じ事を言う


と驚かれました。







「俺は嫌われても、構わない、どうせ会わないし」

(と言った数日後に会うとは思いませんでした!)



と、毒のある日記を書き続けました。



くだらない内容にも、かかわらず、久々に、凄い足跡(mixi)の数でした。

(プロレスの事を書くと、読者が増えるようです)





アクセス数や、影響力には、多少の自信がありました。



毎日、

「世界プロレス協会」


「ミスモンゴル」


の名前が、みなさんの目に、触れる事になります。






集客に、結び付いたかどうかは、わかりませんが、


何しろ、面白く出来るように、毎日、アイディアを考えました。





しかしながら、最後の最後で、あんなとんでもない展開になった事は、嬉しい限りです。








上林選手(ミスモンゴル)


は、私が、FMW時代の、練習生でしたが、


非常に性格が良く、みんなから可愛がられていました。




「上林に頼まれたら、断れない」



と言う、周囲の一致した気持ちが、




大仁田さんや、私を一つのリングに集めた次第です。



大仁田さんに会えて良かったです。

私は、新木場に行きました!!本日の、世界プロレス協会の驚くべき顛末

東京03の、豊本さん

(キングオブコントで優勝経験があます。プロレスファンであった事から、プロレス関係の仕事も多いです)

と、

ミスモンゴル選手(上林選手)


が交際している事は、知る人ぞ知る話ですが、至って、オープンであり、一緒にいる所を見た事がある人も少なくないでしょう。





その二人が、ミスターデンジャーに来る時、



閉店後、夜中まで、話し込む事が度々あり、


仕事漬けの生活をしている、私の貴重な気晴らしになっています。








そして、数日前、ミスモンゴル選手が、ミスターデンジャーを訪れました。



私は、

「豊本さんと一緒じゃないの?、今日は一人なんだ?」


と言い、


「珍しいな」


と思いながら、他愛のない世間話をしながら、時間が過ぎるも、中々帰る素振りもない、




そして、ミスモンゴル選手から、驚くべき話を切り出される






なんと、27日の、新木場の試合後のリング上で、豊本さんに、

「結婚して下さい」

と言うつもりだと話して来ました。



そして、


「松永さんにも、新木場に来て頂けないか」


と言うのです。

(豊本さんは、一ファンに過ぎない、自分は、絶対にリングには、上がってはいけないと言う、ポリシーを持っているらしく、

呼び掛けても、上がってもらえる、可能性が低いので、豊本さんに対して、影響力のある、私に協力して欲しいとの事)



私は、

「そういう事なら、行くよ


と言いました。


(仕事が忙しいので、仕事場から離れて、出掛ける事は、ほとんどないですが…

まして、大仁田さん達のいる、リングに上がると言う事は、考えた事もない位、あり得ない話ですが、


しかし、結婚が賭かっているとなると、私も腹を括らなければなりません)






私は、新木場ファーストリングに、到着して、会場の前の道路に、車を付けました。


リングアナウンサーの声を頼りに、進行具合を掴みます。


休憩の時は、外に人が出て来ますから、バスタオルを頭から被り、顔を隠します。





メインイベントが、終わりそうな頃、会場前に来ました。


入り口の関係者に、


「モンゴルと事前の話しは、してあります。

乱入ではありません。


ところで、今日の入りはどうですか?」


と聞くと、


「とんでもない事になっています


との話でした。





私は、入り口の扉を開けて、中を見ましたが、


観客が一杯で、豊本さんの姿を見付けられません。




入り口の関係者に、探してもらい、タオルで顔を隠しながら、豊本さんに近付きました。

(豊本さんは、驚いていましたが、

「薔薇いばら見ましたか?」

と、当然の事ながら、まだ、のんきに構えています)




試合が終わり、大仁田さんの、マイクが終わり、


モンゴルへ、マイクが渡りました。



モンゴルが、豊本さんへの感謝の気持ちを、話し始めました。



私は、豊本さんに、


「リングに上がって下さい」

と言いましたが、


「僕は、一ファンですから

と拒みましたが、





観念して、

「松永さん、一緒に上がって下さい」

と言いました。

(たしかに、プロレスラーが、大勢いる、リングに一人で上がるのは、勇気がいります)



私は、

「大丈夫ですよ。一緒に上がっりますよ。いい歳して、大仁田さんと、いがみあいませんよ

と話しました。




大仁田さんの笑顔が、見えます。






一緒に、リングに上がると、私は、大仁田さんに、


「ご無沙汰しています」


と頭を下げ、握手をしました。





リング上の、他のレスラー達が、


「松永さん


と驚きました。

(大仁田さんは、おそらく事前に聞いていたのだと思いますが、

事前漏れを防ぐ為に、他のレスラーには、話していなかったはずです。

視力の悪い選手は、リングに上がって、初めて、私の存在に気付いたようです)



モンゴル選手は、

豊本さんへの感謝の気持ちを、続け、


「結婚して下さい」


と言いました。



会場からは、豊本コール







私は、豊本さんに、


「女性の結婚は、花道


男の結婚は、責任を取る事です」


と語り掛けました。








私の言葉に、影響された訳ではないでしょうが、



豊本さんは、結婚を承諾。


場内は、大歓声です。




工藤めぐみさんが、リングに上がり、モンゴル選手に、プレゼントを渡しました。












私は、

「私は、そろそろ」


と大仁田さんに、お辞儀して、リングを降りました。








「何が起きるかわからない」


のキャッチフレーズは、FMWから、


世界プロレス協会へ、バトンタッチされました。









これらは、全て、ミスモンゴル選手の、



FMW、練習生時代の、


人柄が、良かった事から、生まれています。






練習生が、私と大仁田さんとの架け橋を作るなんて、粋ですね。





本日の、新木場は、大入りでした。




私の日記での宣伝効果ではなく、まだまだ、大仁田さんを始めとする、選手達に、集客力があったと言う事でしょう。
プロフィール

松永光弘

Author:松永光弘
Mitsuhiro Matsunaga

学生時代より相撲、空手の修行に励み、1989年10月FMWにてプロレスデビュー。以降W★ING、大日本プロレス等の団体を渡り歩き、ファイヤー・デスマッチ、五寸釘デスマッチ、サソリサボテン・デスマッチ、裸足蛍光灯デスマッチ等の危険且つ過激な闘いに身を投じる。1997年4月東京都墨田区にステーキ店「Mr.デンジャー」を開店。自ら厨房に立ち、仕込みから調理まで腕を振るう日々を過ごしている。

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