お騒がせしました

お騒がせしまして、申し訳ありませんでした。

この程度の事で、イライラした、自分自身、まだまだな人間だと思います。

向上出来るように努力したいと思います。

今後共よろしくお願いします。

(復活はしません)
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冷静に

年末年始色々ありましたが、少し冷静になりました。

できる限り、忘れる事にしますが、

「復活オファー」

につきましては、毅然たる態度で挑みます。

………………

年末の興行では、この日一番の歓声を受けたと思います。

やはり、引退試合から、7年間、復活せずに、我慢した事の結果かなと思います。また滅多に見られない事による希少性もあるでしょう。

「伝説」になれたのだなと思い、感慨深かったです。


しかし、それが嫉妬になり、新年から、一部の選手の態度が、豹変する。それ位しか思い付きません。

私が、何か気に触る事をしたのなら教えて欲しい。


…………

本来、年末に店を、放り出して、プロレス会場に行くなど、言語道断。 残されたスタッフへの負担も凄いですし、仕込みも遅れます。

ただでさえ、秋口から、飲食業界、謎の低迷が続いていまして、枕を高くして眠れる日など、1日もありません。


しかしながら、伝わりません。年末の興行への来場の、初コンタクトがあったのが、興行日の一週間前。正式オファーがあったのは、三日前でした。

既に花を用意してあると、伝えても、断ると言う選択肢は、一切与えられませんでした。

しかしこれに関しては、結果的に、行って良かったと思いました。

……………

プロレスラーは、気に入らない相手から、電話があれば、出なければいい。出ても、気に入らなければ、電話を切ってしまえばいい。

私の場合、店を構えていて、居所がわかっていますから、店に押し掛けて来て、粘り強く、オファーをされて困った事は、多々あります。
(大日本や、フリーダムスの選手など、気心が知れていて、モラルもあるのならいいのですが)


しかし、伝わりません。書けば悪者にされる。


色々ありましたが、できる限り忘れる事にします。

スポーツ新聞が、松永復帰と報道!

スポーツ新聞が、さよなら引退興行で、松永復帰と報道

バカバカしい。

トークショーでは、遠慮して言いませんでしたが、引退、復帰を繰り返す事を、歓迎しているファンより、

バカにしているファンの方が、何百倍も多いんですよ。

話がくだらない。


あと、会場で挨拶してこなかった、新生の選手とは、絶縁する。新生はやはりダメだ。


間に入ってくれた、矢口さんと、主催者の高橋さんの顔を立てて我慢しただけです。

何せ我慢


ここ数年掛けて、壊れていた人間関係を再構築して来ましたが、

再び壊れて行くのは、残念です。

プロレスラーは、働いた事がないので、

「仕事が忙しい。」

と言う断りは、通用しません。仕事は、いつでも休めると思っていますから、苦労します。


年末年始、プロレスの2会場に、顔を出しましたが、意外にも、爽やかに過ごせた、金村キンタロー引退興行。

楽しみにしていた、年始の興行は、我慢の連続。

「血が騒ぐだろ」

と聞かれたりもしましたが、とんでもない。

一刻も早く、会場を出たかったのが本音。

大仁田さんに「メインをやっている間に帰宅します」と挨拶して帰宅。

挨拶は当然の常識。



明らかに没落して行く人間を相手にすると自分も下がる。


何しろ、我慢。

大仁田さんとのトークショー

私が、著書や、ブログ、インタビューなどで、大仁田さんを攻撃したのは、

大仁田さんを超えられなかった事に対する嫉妬であると、大仁田さんに、直接、伝えたました。(私のデスマッチ路線も、突き詰めれば二番煎じ)

……………………


ただ、これから書く事は、それに当てはまりません。

復活オファーは、絶対に受けない。

それが、これからもあれば、断交。

店に押し掛けて来て、復活オファーをして来れば、110番通報をします。


いやあ、しつこかったです。復活すると決め付けていました。
プロフィール

松永光弘

Author:松永光弘
Mitsuhiro Matsunaga

学生時代より相撲、空手の修行に励み、1989年10月FMWにてプロレスデビュー。以降W★ING、大日本プロレス等の団体を渡り歩き、ファイヤー・デスマッチ、五寸釘デスマッチ、サソリサボテン・デスマッチ、裸足蛍光灯デスマッチ等の危険且つ過激な闘いに身を投じる。1997年4月東京都墨田区にステーキ店「Mr.デンジャー」を開店。自ら厨房に立ち、仕込みから調理まで腕を振るう日々を過ごしている。

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