新日ギャラ払え

当時、斎藤選手に電話で、ロビンのちびくろさんぼデスマッチの話をしました。「バターにならなかったら死ぬまで回らせる」と言ったら、大笑いしたあと、「いいなあ」と言っていました。

たしかに新日本では気を使うから羨ましかったでしょうね。

長州さんの目が光っているし、佐々木健介は、俺が一番強いんだーって顔して歩いているし…





ウイングの事務所に、週刊ファイトの編集長が来ていました。

「新日本プロレスからギャラを全額もらってないですよ」と話したら、「今から新日本に電話して取りに行ってくれば、いいじゃない」
と言われて、「あ、そうか」と思い、新日本の事務所に電話しました。


倍賞さんが電話に出て、詳細を話し、「今から取りに行っていいですか?」と聞きました。


そうしたら、「ちょっとわからないので館長に聞いてみます。」とごまかされて、連絡先を教えましたが、連絡は来ませんでした…。


結局、新日本対誠心会館の抗争に出ていれば、払うけど出なければ払わない。

本当に新日本らしい対応でした。





今でも、長州さんから、人づてにオファーが来ますが、「ポリシーないんですか」と呆れます。
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新日本対誠心会館終結

「お前達プロレスラーの怖さがわかったか!」ついに館長が、誠心会館側に加入しました。

しかし唐突に終焉は訪れます。

誠心会館の看板を掛けた闘いをする事になりました。
何かのイベントで、司会者から「負けたら誠心会館はなくなってしまうのですね?」と突っ込まれて、館長が返答に困っていたのを覚えています。

両国で、斎藤、館長共に敗れ、看板をなくしますが、小林邦昭選手らの同情で二人の前に看板を置いて行くというエンディング。

館長は新日本対誠心会館で、一回も勝っていません。しかも看板まで失う失態。
「だから利用されるだけだと言ったでしょ」と思っていました。

プロレスファンから見たら、感動のエンディングだったかも知れませんが、

誠心会館は、集団で小林邦昭選手をリンチしたりする野蛮な行為に、子供を預けている父兄から抗議が殺到。
後援会からも「看板を素直におろすべきだ」との声が出たり、四面楚歌。

「得したのは斎藤だけだった」というのが誠心会館内でも定説です。

新日本対誠心会館

新日本対誠心会館
新生ウイングの旗揚げ戦のスカイハイアゲインを観戦に行きました。それを雑誌で見たK長が激怒しました。
執拗に執拗に新日本に上がらせようとするK長に、最終手段で、質問状を送りました。相当に強烈な内容でした。新日本からの未払いのギャラも具体的に書きました。

K長から電話がありました。
「お前、あれそのまま新日本に送ったからな」

そうしたら焦った長州さんが「うちが悪いなら、ちゃんと未払金を払う」とK長を通じて言ってきました。

たしかに新日本対誠心会館で予定していた駒が一つ減るのは、大変計画が狂うでしょうね。
ただでさえ誠心会館は選手層が極めて薄いのです。実は私も他の流派で黒帯を取り、館長に憧れて移籍して来ました。誠心会館の生え抜きではないのです。それでも館長の下で2年位はいましたが、斎藤選手に至っては、ウイングに入る少し前に誠心会館に入ったばかりです…。しかし私も強情です。「ギャラを払うなら、その時にちゃんと払え、また使いたいから前の分を払うのは気にくわない」と頑として受け付けません。


ある時、家に帰ったら「新日本プロレス、レインボーホール大会に集合」とファックスが届いていました。

誠心会館殴り込みの日です。
携帯電話のない時代ですから、K長と連絡が取れず、やむなくレインボーホールに行きました。

そうしたらK長が出て来て「お前ウイングに行っていいから帰っていい」と言ってくれました。


誠心会館の面々が、レインボーホールの表玄関で、「この野郎、バカ野郎」と殴り込みを掛ける声を、聞きながら帰路につきました。
みんな大変だったと思います。何しろ誠心会館の殴り込みのメンバーは、みんな5級や4級のメンバーでしたから、ビビっていたでしょうね。



最初の抗争の発端を作ったと言われている松井君は高校時代の同級生で、「今から小林邦昭に殴られに行くんだ」と言って、後楽園ホールに出掛けるのを私は駅まで見送っています。

新日本プロレスこぼれ話

新日本プロレスでの巡業中のオフに、ブラックキャットさんから、「トレーニングジムに行く?」と声を掛けられました。

「行くなら14時集合」

14時にホテルのフロントに降りて来ると、キャットさんとペガサスキッドがいました。今は亡き2人です。
タクシーに相乗りして、キャットさんが前、私は後ろの座席にペガサスと並んで座りました。

ペガサスに「腕太いね」と声を掛けられました。しかしペガサスは体重93キロで、私より7キロほど体重が軽いのに、腕はペガサスの方が、はるかに太かったです。
あの亡くなり方は、ステロイドの後遺症なのでしょうか?


アメリカンジムという所でトレーニングをして、私はプロテインを持って来てなかったので、アミノ酸を購入しました。

アミノ900と書かれたラベルを、キャットさんに見せたら、「飲まないよりいいけど、僕はアミノ4600というのを飲んでいるよ」と言われました。

でもそれ本当にアミノ酸の含有量の差なのかな?単なる商品名じゃないかなと思いました。

キャットさんは優しい性格でしたから、「早くセコンド付いて、頑張って」と言われても、ヤングライオン達は、なかなか動きません。先輩に絶対服従の新日本でしたが、キャットさんはよほど優しかったのでしょう。優しい先輩の言う事を聞かないのは、どこでも同じですね…。キャットさんは長州さんに認めてもらいたくて、一生懸命トレーニングをしていましたが、チャンスはもらえませんでした。



ドクさんから、アメリカで映画出演した際に、ステロイドを使わされた事を聞きました。

「ステロイドは本当に凄いよ、二の腕がボールみたいになったよ」と言っていました。

新日本プロレスこぼれ話

私は、とりたてて特徴のある顔でもありませんし、斎藤選手のようなイケメンでもありません。

パイオニア戦志のどん底から抜け出し、新日本プロレスに出て、テレビマッチにも出る事が出来ました。すぐ解雇されたとはいえ、この金髪で少なからず注目されたため、自分自身、大変な愛着が出ました。

金髪に髭、黒の空手着のスタイルは、自分でも似合うと思います。
余談ですが、「どうして髭も金色にしないのですか?」との質問は、何百回とされた質問です。

館長からは、空手道場もあるし「早く黒髪に戻せ」と、何度も言われていました。
旧ウイングに参戦してからは、長州さんが、雑誌で見て「松永まだ金髪なのか」 と不思議がっていたそうです。

また金髪は、流血戦で赤く染まるために、よく映えました。黒髪では、流血して、頭の部分に、血が付いても分かりません。

金髪にする前は、他人から「この人プロレスに出ている人だよ」と紹介されても、疑いの目で見られていましたが、金髪にしてからは、すぐに信用してもらえるようになり、多くの方々に支援してもらえるようになりました。

また、金髪の元祖は、上田馬之助さんですが、金髪の短髪というのは、前例がなく、「どこの床屋でやってもらえるのですか?」と、当時よく問い合わせがありました。

金髪にしてからは、なぜか女性からの、ファンレターが増えました。
プロレスラーらしいからでしょうか。

まさに幸運の金髪なのです。
プロフィール

松永光弘

Author:松永光弘
Mitsuhiro Matsunaga

学生時代より相撲、空手の修行に励み、1989年10月FMWにてプロレスデビュー。以降W★ING、大日本プロレス等の団体を渡り歩き、ファイヤー・デスマッチ、五寸釘デスマッチ、サソリサボテン・デスマッチ、裸足蛍光灯デスマッチ等の危険且つ過激な闘いに身を投じる。1997年4月東京都墨田区にステーキ店「Mr.デンジャー」を開店。自ら厨房に立ち、仕込みから調理まで腕を振るう日々を過ごしている。

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